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2008年07月14日

【考察】格言から思ったことシリーズ4

らんらんるー
洗脳されそうな屍です

突発企画再始動でございます

キェルケゴール 死に至る病より
「死に至る病とは絶望のことである」

キェルケゴールは現実であらゆる可能性を追求しようと死によってもたらされる絶望を回避できないと考え、そして神による救済の可能性のみが信じられるとしています
ボクはキェルケゴールの言葉通りには受け取っていません。特に後半部分。
神などいないのだから。
ではボクが思うことは何か?

死に至る病=絶望 ならば 絶望=死 と簡素化します

人は絶望によって、生への執着が薄れ緩やかに死を招きいれようとする。これは緩慢な自殺に他ならないと考えています。
同時に希望なき日々など死んでいるも同然だとも。

あくまで自分の経験からですが色々なモノに希望を持てなくなり、やがては絶望へと変わり、自殺未遂を行ったことがあります。

人は必ず死にます
死は様々。交通事故だったり、癌などの病気だったり、飛び降り自殺だったり、他殺だったりと
どれも可能性はあるわけで、回避するすべなど皆無です
数少ない死を引き伸ばす方法として、絶望に至らないことだと考えています

そしてボクは他者の死を絶望へはしません
友人が事故死したときも、叔父が病死したときも、父が危篤までいったときも、絶望だけはしませんでした
安直ですが人の人生を物語に例えるなら死は物語の絶対結末です。
物語の最後に読み手、つまり本人以外の他者が物語の最後に絶望してしまえば「ソレ」はBADENDでしかない
最後の幕引きに後悔したり、絶望したりすることはむくわれない
死を認め、絶望せずに、共に生きていたことを希望をするならば「ソレ」はHAPPYENDになると思うし、
生きている者の、死にゆく者への義務のようなものだと考えています

同時に絶望していまえば、読み手の物語も幕引きとなる
つまり「絶望」とは自分だけでなく、他者へも感染する「死に至る病」なのだと考えています

難しすぎて自分でもよくわからないうちに終る

最後に画像で一言
【考察】格言から思ったことシリーズ4




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Posted by 屍 at 23:08│Comments(0)考察
 
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