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2008年12月08日

【考察】哲学的な何か

マジメな文章でも書きますかね
まいどー、屍でーす

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みくしの日記でフレが「永遠」と「人の生」について悩んでた(考えてた?)のでコメしたところ
もうちょっと詳しくと言われたので日記に書いた
せっかくだから加筆修正をしてブログにも

注意:俺の個人的な考えであって、この考えが正しいとかそーいうのはない

以下本題

時間というモノを定義付けしたのは人間の勝手な都合によるものが大半で、
本質的には知識、記憶そのものであると考える

現在とは流動的な記憶の変動を固定化しようと記録している事象である
過去とは「現在」という記憶の集合体であり、1秒後であろうと過去に成ってしまう
言い換えれば記憶がなければ過去など存在しないも同然かもしれない
過去と現在は記憶、思い出という知識を点とした一つの線で結ばれているに過ぎない人が「時間」と名づけたモノの一部である
未来とは過去に積み重ねてきた知識からなる「想像」であって現実ではない
とは言え1秒前の未来は1秒後には現在となる、さらに1秒後には過去に

これらを踏まえて「未来とは未だ来ない過去」であり「過去とは過ぎ去った未来」と(みくしのコメで)発言したのである

さらに言えば永遠は想像の副産物でしかないと考えている

例えば君は学生で「永遠」に楽しい学園生活を謳歌しているとしよう
何百年、何千年、何万年、何十万年、何百万年、何千万年、何億年、何十億年、何百億年、何千億年、何京年、何十京年、何百京年も楽しい学園生活をそれでもまだまだ終わらない
これらが更に何千倍、何億倍、何京倍しても終わらない
それらも全て「一瞬」の出来事なのだ
無限に続くから、永遠なのだから

だがこれは例えであって言葉遊び程度の範疇でしかない
では解答は?と問われると個々の考えによって様々な返答が来るだろう。そして「個々の考え」とは想像の一種である
故に永遠とは人の知識が産み出した「想像」でしかないと考える

そして人の生を語るのなら「存在」と「記憶」から成立する曖昧な「認識」である

あえて曖昧なと語ったのは

あなたの目の前には一つの人形が存在します
これをあなたも含めて全ての人が認識できなければ記憶すらできない
そうするとその人形は存在していないのとなんら変わらない「無」そのものとも言えるのじゃないか?

おまけで無を語るのなら無とは何か?
無限に広がる空間?永遠に続く時間?何も無い世界?
だが空間、時間、世界、果ては「何も無いという概念」が存在しているではないか
だから僕が思うに人の言う「無」は「存在の欠如」が一番近いと考えている

話を戻すと前述した人形は人間に置き換えてもらっていい
人生は自分以外の他者の認識によって支えられる自分の存在から成立する、両者の記憶の共有である

俺はここにいるぜー!っていくら叫んでも他人がそれに気づかなければ意味ない
逆しかり。他人が俺はここにいるぜー!と叫んだところで君や他の第三者が認識できなければ
第三者も含め全員の記憶の共有の欠落及び認識の欠如によって引き起こされる「無」が生じる

人の生及び存在とは他者がいてこそ成立するものである・・・と


割と突っ込み所満載の矛盾だらけな論理だけど概ねこんな考え持ってます
突っ込んだら返答できるけど2点を要約するとこんな感じで

他者の定義とか点時間が内包する矛盾とか色々あるけど
ややこしい話になるけどね文章を短く、かつ難解な言葉は避けたので大雑把になったちゃん☆(ゝω・)vキャピ


まぁそんな難しいことは考えずに気楽にすごせばいいんじゃね?


最後に画像で一言
【考察】哲学的な何か





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Posted by 屍 at 02:08│Comments(0)考察
 
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